流れるように流れない

イラストレーターます子の、考えたこと、気づいたこと

デザインはどこにでも生きているからわたしはデザイナーをやらなくていい

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先日、仲良いデザイナーの友達と、夫と三人で話したとき。

「ますこさんはイラストレーターと名乗ることにして、デザイナーは名乗らなくてもいいんじゃない?」という話になったことがあります。

以前他の人にも同じようなことを言われたことはあって、イラストの仕事に集中した方がいいという意味だったので嬉しさもありつつ、わたしは「あーそうかなあ」みたいに答えた記憶があります。でもデザインもやりたい気持ちがあったので少し寂しい気持ちでした。

 

専門学校のときにWebデザイナーの友達から声をかけてもらって制作会社でデザイナーのアルバイトをはじめ、新卒でそのまま就職してから、何社かでデザイナーとして働かせてもらいました。個人的に依頼をもらってサイトを作ったり、自分の活動のためにサイトを作ったり。自分の活動のためのサイトはほとんど趣味みたいなものでしたが、

「どうやったら現状の問題を解決できるか?」「どうやったら関わっている人が幸せになれるか?」と一生懸命考えるのはつらいことも多かったですが幸せな時間でした。

 

冒頭の友達と夫の発言の意図は、

「あなたが人のために何かをつくるより、自分のつくりたいものをつくるほうが世の中のためになる」

ということなんだそうです。わたしのつくりたいものにそこまで価値があるかわからないと思ってしまいますが、よく考えると、人のためにと考えてはいたものの、本当に相手に寄り添えることなんてそうそうなかったように思えます。それでもわたしはデザイナーとして働くことが楽しかった。何回も失敗して、体をこわしておやすみもして、それでも戻ってきたのです。勉強も経験も全然全然足りなくて、いつも自分のできないことに打ちひしがれてきたけれど、作ったものを誰かに喜んでもらえるのはとてつもなく嬉しかったのです。

 

お布団でぽつりぽつりデザイナーとしての思い出を話していて、涙で鼻がつまってきたとき、

「でも他の仕事してたってデザインはできるよね。イラストだってデザイン。たとえば営業やったってデザイン。」

こういう言葉が出てきました。この文章を書いていることもデザインです。自分の明日を考えることもデザイン。ごはんをつくることもデザイン。デザインはどこにでも生きているんだなって思えたので、わたしはイラストレーターに専念しようかと思うのです。

 

わたしのデザインは、絶対に生かしていくから、だいじょうぶです。デザインはいつでもそばにいます。デザインのこと大好きです。

考えることがむずかしい

タイトルの通りなのですが、考えるということは本当にむずかしい。むずかしい話ではないのにむずかしい。むずかしい話ではないからむずかしくはないのかもしれない。うーむ。

前回の記事で持病のことを書いて振り返ってみると、悩んでいるのは鬱の症状がほとんど。双極性障害は、躁鬱のことです。いわゆる躁で気持ちが大きくなって散財したり大きなことをやらかしてしまう…のはⅠ型で、わたしのⅡ型は躁が軽躁といって小さめ。テンションが上がって気分もよく、あれこれ片付けようとしたり、精力的に動けるようになります。周りからは「遅れを取り戻そうとしているのかな」「元気に戻ったな」という感じらしいです。

気分もいいならいいじゃない、と思うところですが、軽躁で無理をしすぎてエネルギーを使い果たして鬱になるのを早めてしまったり、気分の波が大きく、切り替えが早くなってしまうことがあります。なので、軽躁も抑えなくてはいけないんですが、これがつらい。ものすごくつらい。重く苦しい鬱からやっと抜けて、元気になった!気分も上がって、ひょっとして病気も治ったのかも、むしろ病気じゃなかったのかも!みたいに毎回思います。本当のわたし、デビュー!的な。最近はつとめて「一時的に調子が上がっているだけだから」と自己暗示をかけるようにしていますが、調子がよくなったわけでもなく、ただの波っていう点にものすごく絶望します。

↑このくだりを書いていたら、ぐっと涙が。毎回つらいですね。とはいえ、前回の記事を振り返りながら先生に症状を訴えたら処方を調整してくれて、少し楽になった気がしています。

イラストでもうちょっと分かりやすくこのあたりについても描けたらいいな。

 

本題に戻ります。考えるのがつらい。なんなら起きているのがつらいです。昔から…だったかどうかわからないのですが、空いている時間はただ横になってしまいます。今取り組んでいることや、これから計画していることに関して、やることがたくさんあるので、関わっている人にも迷惑をかけています。そして、「すみません…」とこちらから声をかけるのがとても怖く、ずるずると引き延ばしてしまいます。

昔から使っているWunderlistというタスク管理アプリで、やることを一個一個課題にして、というやり方で一時うまくまわるようになった気がしたのですが、少しやりすぎてしまったのか重荷に感じているのが正直なところです。

前回のカウンセリングでも、人を信じて話をすることができない、ということを相談しました。その原因を掘り下げていくのはつらい作業になることもあるし、長い時間がかかることだから、よく検討してみてくださいね、とのことだったので、迷っています。

なんだか書いてみれば書いてみるほど自分が情けなく、誰もができることを怠慢でやっていないだけのような気がします。泣ける。なんとかしたい。情けない。悔しい。

今日は長年行けていなかった健康診断に行けたので、ひとまずほっとしています。これを書いてたら今の自分の状態、けっこう鬱寄りだったんだなと分かったので、駄文だけれど書けてよかったです。また。

双極性障害Ⅱ型と生きる、ということ

最初は、ある方から「これなのでは?」という助言をもらったことでした。今ではどこにいってもほぼこの診断になっているみたいです(こっちから聞かないので実際のところはわからないけど)。それまではうつ病や、パーソナリティ障害や、気分変調障害なのではないかという診断がされ、主に抗精神薬を飲んできました。下がった気持ちを上げるのが中心の治療でした。

 

双極性障害では心身の波があるため、波の上下を抑えるように安定剤を飲んで調整するのがメインの治療法になります。なので、「今まで違う病気の治療をしてきたからうまくいかなかったんだ!」と、この診断がついたときは希望が見えました。でも、それからどれくらい経つかあまりはっきり覚えていないのですが、2〜3年は経つと思います。なかなか快方に行っていません。相変わらずメンタルをこじらせている感じの人になっています。

 

今は寒い時期だというのも相まってここ数日はだいぶ具合が悪く、今日は自暴自棄で絶望的で、とてもつらい気持ちに囚われました。秋冬に特に調子を崩すのがつらいです…。落ち着いてからあったかくて甘いものを摂って、「そういえば最近文章を書いていなかったな」ということに気づき、久々にここを思い出したので書いてみることにしました。書くととても心が落ち着くので、大好きです。文字を書くの。

 

精神科に通うようになって8年?9年?は経つのに、未だに「ただの甘えで、頑張りが足りないだけなんじゃないか。皆これくらい苦しいんじゃないか。」という思いが消えません。そんな風に必要以上に自分を責めてエネルギーをすり減らすのなら、もっと活動する方にシフトしたいのに、という思いもわいてきて、げんなりして、揺れ動く気持ちで脳が余計疲弊していきます。ここのところ、なにがいいのか悪いのか、もうよくわからなくなってました。

 

双極性障害は基本的に完治はしないと言われています。単極性のうつ病などは寛解(投薬などをしなくても基本的な生活が送れること…だと理解してます)があるのに対し、基本的に一生服薬が必要です。アトピーが酷かったときも言われたのですが「薬で症状を抑えて、うまくつきあっていきましょう」ってお医者さんに言われるのって、なかなかつらいものがあります。治らないのかと。ずっと苦しまないといけないのか、と。

 

Twitterに書いていることや、パートナーに送っている文章を振り返っても、調子のいいときと悪いときでは明らかに差があって、調子の悪いときは何気ない他人の言動にも勝手に傷ついて涙が出たりします。そもそも家から出られないことも多々。どんな仕事にも支障が出ると思いますが、最近取り組んでいる案件は特に頭を使うことが多く、頭が回らないと致命的です。糖質制限ダイエットをひとまず置いておいて糖分をとってるのですが、うまくいきません。

 

今日は久々に死にたくなったので、あぶなかった。

 

同じような病気に苦しむ人たちに希望を与えられるような、そんな人になれたらな…と最近は思っているのですが、キラキラ眩しい人でなくても同じように「苦しんでいる人」がいるというだけで救われることもあるかもしれない。むしろ、こんなダメなわたしだからこそ力になれるかもしれない。そんなことを最近考えてました。明日は通院。問題は山積みだけど、思ったような文章にもならなかったけれど、生き抜くぞ。

【うちのねこ】のりまき

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うちの猫 Advent Calendar 2014 - Adventar

うちのねこ、のりまき。
わたしはのりまきさんと呼んだり、のりちゃんと呼んだりします。

オス、3歳、あっという間の3歳。
出会いは知り合いが何匹かの捨て猫を保護したということで飼わないかと持ちかけられたことでした。
首輪をしてくれなくて困ったことも、
おなかに虫がいて心配になったことも、
今となっては遠い思い出です。
のりまきさんは、もうわたしのかけがえのない存在です。
同時に、わたしの家族にとってもかけがえのない存在です。

先日引っ越しをして、のりまきさんを実家から連れてくることになりました。
のりまきさんと一緒に暮らすことを考えて選んだ新居。
それでものりまきさんにとっては知らない環境です。
そして、かわいがってくれたわたしの両親から引き離すことになってしまいました。
引っ越しのとき、わたしの母は涙ぐんでいました。
のりまきさんも、不安そうにずっと鳴いていました。
わたしも新居で一緒に暮らせるのが楽しみだったのに、くじけそうになってしまいました。

誰からも愛されるねこです。
ねこなのに人見知りをしない、変わった子です。
わたしはのりまきさんと出会ってから、
以前より生きることをがんばれるようになった気がします。

だからこれからも一緒に楽しく過ごしたい。
のりまきさん、これからもよろしくね。

自分は自分にしかなれないし他の誰かにならなくていいってこと

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ごくあたりまえの話かもしれません。

わたしはいつも「自分以外の誰か」になりたがっていた気がします。

自分でいることが嫌だったのかもしれません。

それは苦しくなるだけです。

ただ息をしているだけで、ここにいるだけでストレスを感じていたのだと思います。

なんでこんなにつらいんだろう、と考えていたときにそれに気づきました。

自分が自分でいることを拒否していたら、苦しくて当たり前です。

誰かに拒否されるあの悲しみを、いつも自分に浴びせてるんですから。

 

でも結局、自分は自分にしかなれないし、他の誰かにならなくていいんです。

まず現実的に、他人になることはできない。(と思います。完全には)

もしできたとしても、その自分を受け入れられなくなるときがくるかもしれない。

 

誰かに話をすると言ってもらえる「あなたはあなたのままでいい。」という言葉をうまく受け取れないでいました。

ほっとする反面、その言葉には諦めが含まれている気がして、少し寂しくなってしまっていました。

でもそれは最大限の愛の言葉だったんですね。

なんだかすぐイッパイイッパイになって苦しくなってしまうわたしを、それでもそのままでいていいと、ゆるしてくれる言葉。

必要だったのは、ある意味諦めることだと思い至りました。

そしてそこには、たくさん叶えたいことがあるからだともわかりました。

 

毎日紙の日記に星印をつけて、「その日にできたこと、よかったこと」を

3つ以上書くようにしています。何かで読んだ、自信をつける方法です。

最初は難しかったり、全く書けない日もありましたが、最近たくさん書けるようになりました。

 

人から褒めてもらうのは嬉しい。

でも自分で自分にオッケー出すことを、しばらく練習しようと思います。

再発見

意識的に一人でいる時間を増やしてみたら、はっきりと世界が見えるようになった。
たくさんのことに悩んで、もともと少ない自信をさらにすり減らして、もともと悪い目を更に悪化させて、もともと偏った思考を偏らせていたことに気づいた。

誰かにすぐ話すのではなく自分でまずしっかりと抱えて、自分の身体の中で転がしてみた。
好奇心が戻ってきた。
一日一日が楽しくなった。

空いた時間を、「とにかく何かする」ことで埋めていたのを、「そのとき本当に自分に必要なこと、やりたいことをする」ようにしてみた。
まわりがよく見えるようになった。
より良く生きたいと思えるようになった。

迷うとすぐ何かを見て紛らわさずに、前よりちょっとだけ立ち向かうようにしてみた。
表現することは難しかったり苦しかったりするから楽しいと思い出した。

インスタントな感覚で言葉を世界にばらまくのをやめてみた。
自分の感受性を大切にしようと思えるようになった。
つくっていることがやっぱり一番かっこいいと再認識した。
不安は言葉にしないほうがいいときもあることを知った。

人に誉められたくて仕方がなかった。まず自分で評価するようにしてみた。
感情の波が少しゆるやかになった。
少し楽観的になった。少しいい意味で諦めた。

いろんな発見があったけれど
周りがどうこうではなく、わたしは作って生きていこうと思った。
生きること、作ることが自分の中で大切なものだと再確認できてとても嬉しかった。
たくさんのことが当たり前になってしまっていたことに気づいた。
絵を描くことも、Webを作ることも、仕事だけれど、わたしは大好きなんだ。
わたしは仕事が大好きなんだ。作ることが大好きなんだ。
ツンデレだったのかもしれない。

もっといいものをつくりたい。
世界の中での意味も、そのものの価値も、高いものを。
そのためにもっとつくりたい。
自分になにができるのかもっと知りたい。
なにができないのか知りたい。どうしたらできるようになるか知りたい。
新しい世界を見たい。
つくりたいものをどんどんつくって、「ほんとうに自分のつくりたいものはなんだろう?」って探したい。
その過程を楽しみたい。
どんどん挑戦したい。
動くものもつくりたい。音もつくりたい。言葉もつくりたい。

終わりがないな。楽しいな。

VJ(visual jockey)をはじめたよ

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いつの間にやらクラブに遊びに行くようになりました。
それまでは何となくこわそうだなーというイメージを持っていたので、
まさか自分がクラブに通うようになるとは…
しかもDJ巻き込んでイベントやるようになるとは…
L.O.Gっていうイベントをやってます。4/20ライブペインティングするよ!)
人生なにが起こるかわからないもんです。

ということであちこち行っていたとき、
1月にとあるイベントで音に合わせてカッコイイ映像が流れているのを発見。
こういうのおもしろそう!と一緒にイベントをやってる仲間に言ったら、
音に合わせて映像を流す、VJという人たちがいることを初めて知りました。

ワクワクしてツイートしたり、人に言ったりしていたら
あっという間に「じゃあ来月やってみなよ!」ということになり(!)
先日ヨウカイというイベントでやらせていただきました。
色々準備したものの出力できなくて/(^o^)\先輩の機材を丸ごと借りてしまったのですが…!
主にL.O.GのDJたちのプレイ中にがんばったよ!

やってみた感想は これは楽しい
借りたソフトがとても直感的に使えるソフトだったのもあって(Fireflyというソフトです)
ほとんどPhotoshopをいじっているような状態。
動画素材にエフェクトをかけたり、レイヤーで重ねていろんな効果をかけたり、スピードをいじって印象を変えたり。
少ない素材でも、組み合わせ次第でイメージががらっと変わります。

いつもの絵を描くことに置き換えると、アナログイラストを描くときに近い感覚なのでびっくりしました。
絵の具がにじんだり、混ざったり、乾いて色が変わったり。
制作過程でそういった「予想できないこと」が起こるのがわたしにとってアナログイラストの楽しいところなのですが、
VJもそれにすごく似ている気がします。
素材が動画なのが自分の中で新しいし、音楽に影響を受けるのもおもしろい。
どんどん好きにいじって、やりたい放題やってみました。
自分の中で新しい風が吹いたかも。
いつも絵を描いたりデザインをしたりしていることと、相互にいい影響がありそうです。

そんなわけでワクワクしながらVJプレイ環境を整えるべくいろいろ調べています!
映像素材も自分で作って使いたいですし、
どんなことができるかすごく楽しみです。

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写真撮ってもらったけど自分の姿勢が悪すぎた…w
いつもの作業風景のようですw

 

というわけでVJ mascoもよろしくです!