流れるように流れない

イラストレーターます子の、考えたこと、気づいたこと

考えることがむずかしい

タイトルの通りなのですが、考えるということは本当にむずかしい。むずかしい話ではないのにむずかしい。むずかしい話ではないからむずかしくはないのかもしれない。うーむ。

前回の記事で持病のことを書いて振り返ってみると、悩んでいるのは鬱の症状がほとんど。双極性障害は、躁鬱のことです。いわゆる躁で気持ちが大きくなって散財したり大きなことをやらかしてしまう…のはⅠ型で、わたしのⅡ型は躁が軽躁といって小さめ。テンションが上がって気分もよく、あれこれ片付けようとしたり、精力的に動けるようになります。周りからは「遅れを取り戻そうとしているのかな」「元気に戻ったな」という感じらしいです。

気分もいいならいいじゃない、と思うところですが、軽躁で無理をしすぎてエネルギーを使い果たして鬱になるのを早めてしまったり、気分の波が大きく、切り替えが早くなってしまうことがあります。なので、軽躁も抑えなくてはいけないんですが、これがつらい。ものすごくつらい。重く苦しい鬱からやっと抜けて、元気になった!気分も上がって、ひょっとして病気も治ったのかも、むしろ病気じゃなかったのかも!みたいに毎回思います。本当のわたし、デビュー!的な。最近はつとめて「一時的に調子が上がっているだけだから」と自己暗示をかけるようにしていますが、調子がよくなったわけでもなく、ただの波っていう点にものすごく絶望します。

↑このくだりを書いていたら、ぐっと涙が。毎回つらいですね。とはいえ、前回の記事を振り返りながら先生に症状を訴えたら処方を調整してくれて、少し楽になった気がしています。

イラストでもうちょっと分かりやすくこのあたりについても描けたらいいな。

 

本題に戻ります。考えるのがつらい。なんなら起きているのがつらいです。昔から…だったかどうかわからないのですが、空いている時間はただ横になってしまいます。今取り組んでいることや、これから計画していることに関して、やることがたくさんあるので、関わっている人にも迷惑をかけています。そして、「すみません…」とこちらから声をかけるのがとても怖く、ずるずると引き延ばしてしまいます。

昔から使っているWunderlistというタスク管理アプリで、やることを一個一個課題にして、というやり方で一時うまくまわるようになった気がしたのですが、少しやりすぎてしまったのか重荷に感じているのが正直なところです。

前回のカウンセリングでも、人を信じて話をすることができない、ということを相談しました。その原因を掘り下げていくのはつらい作業になることもあるし、長い時間がかかることだから、よく検討してみてくださいね、とのことだったので、迷っています。

なんだか書いてみれば書いてみるほど自分が情けなく、誰もができることを怠慢でやっていないだけのような気がします。泣ける。なんとかしたい。情けない。悔しい。

今日は長年行けていなかった健康診断に行けたので、ひとまずほっとしています。これを書いてたら今の自分の状態、けっこう鬱寄りだったんだなと分かったので、駄文だけれど書けてよかったです。また。